2022年09月788号
戸部教会の信徒としての、感謝と随想
【高月和子】
(この文章は平成20年、2008年に書かれたものです。)
私は横浜のカトリック戸部教会の信徒として、籍をおいて八年経った。
受洗したのは、六十年前、北九州小倉の教会の幼稚園に勤めていた関係で、フランス人の神父様が洗礼を授けてくださった。
それから、門司、群馬県の渋川、名古屋(二年間、ちょっと勉強をして)渋川と移り、神奈川県の津久井と、幼稚園に勤めながら教会も替わった。この長い期間を、全部、宣教師の方にお世話になった。
幼稚園の仕事も六十五歳の定年退職で終わった。
信徒歴は長いが、決して褒められるような立派な信徒でもないことは、本人が一番よく承知している。
現在の戸部教会は、スペイン系の宣教師の方である。
一緒に住んでいる九歳年下の妹は、近くのI教会の信徒で、本来ならば私もそちらにお世話になるはずである。でも私はそれまで歩んできた道が、少人数の教会ばかりだったので、なるべく信徒数が少ない教会をと望んで、戸部教会に籍を置かせてもらった。
I教会までは、バスで十分という近さなのだが、戸部教会までは、バスの乗換えもあるので一時間かかる。それに、『都会のねずみと田舎のねずみ』ではないが、それまでが田舎組だったので、なかなか教会の雰囲気になじめなかった。その上、老人性の難聴も重なって、友人もできないままだった。
カトリック信徒にとって、大切なことは、イエスが最後の晩餐で残された儀式、ミサに日曜日に与かることがある。私は、そのミサに与かれることを最上の喜びとして、今までもきたし、これからもそのつもりで、よし、としていた。
戸部教会では、伝統的?になのか、大変、敬老を大事にしてくださる。一か月ぐらい前に、敬老会に出席するかしないかの問い合わせのハガキがくる。友人もいないし、敬老して頂きたいとも思わないので、欠席の返事を出すと、その後、ご丁寧に、カステーラの箱入りが贈ってくる。
「どうしてー。私のような者にもったいない」とその度に思う。ハガキにその旨添え書きしていても、欠席すると必ず届く。
今年は八十歳で、難聴も、足腰も弱ったし、思考の衰えもはなはだしいし、敬老して頂くことに、意地張らないで、出席の通知を出した。
その日は、九月十四日の日曜日だった。
ミサで、正式には、ペトロ・ルイス・ペレア・ウラバイエン(通常、ペレア神父)と言われる司祭の、司祭叙階六十周年記念のミサが、五人の司祭が参加されて行われた。荘厳でもあり、そして和やかだった。
ペレア神父様は八十三歳で、昨年から、病気、骨折など不自由な身で、杖をついておられる。
主任司祭のヘルマン神父様は(七十五歳過ぎぐらいだろうか)私が戸部教会に移った時期に四日市の方から移ってこられた。そして現在は、酸素の器具をつけておられる。
昨年の何時頃だったか忘れたが、ヘルマン神父様と、ペレア神父様が、同時に同じ病院に入院されたことがあった。そして、東京から、アダムというポーランド人で、五十歳ぐらいの神父様が、手伝われるようになった。アダム神父様は、初めは医師希望で、医大生だったらしいが、司祭になる道を選ばれたらしい。
そして子供時代を、戸部教会の信徒だった日本人の神父様が、司教代理で出席された。
とにかく、今時、こんなに司祭に恵まれた教会は珍しい。
敬老会に出席したのは、五十人ぐらいだろうか? 婦人会が主になって、もてなしをしてくださった。私は、親しい友人もいないし、全然、この教会の成り立ちも、機構もわからないのだが、違和感もなく会食の仲間に入れた。今までは、自分が食わず嫌いだったことがわかる。
『老人閑居して不善をなす』というが、私の八十年間は、ついつい一人よがりをしていたように思う。
グロリア会の会長さんの挨拶があって、「甘えない事」と話されたように思うが、私の聴く力は弱いので、あまり信用出来ない。ここの老人会に『グロリア』という名前があるとも知らなかった。この会長さんは、毎日曜日、美しい奥様と、ミサに与かっておられたが、数年前、奥様は天に旅だたれた。
会食の後、ヘルマン神父様から、一人一人カステーラも頂いた。
十八日は、ペレア神父様のお祝いのパーティーが、会費制であった。当然という気分で、私は申し込んだ。自分でも気が付かないうちに、私の固くなさに、ほんの少し変化が起きたようだ。
「このまま肩肘張って、この人生にさよならしたのじゃいけないのよ」と神様が、そのように仕向けてくださったようだ。
品がいい、やっと三十人ぐらいが入れるレストランだった。今回は、神奈川・静岡・山梨・長野県のカトリックの長である、梅村司教様(五十歳ぐらい)も出席された。以前他の教会で、ペレア神父様の下、働かれたことがあるそうだ。
宣教師は、その派遣された土地で、寝食を捧げて、神の愛に励まされて働かれる。
私が戸部教会の信徒でよかったと思うことの一つに、お年を召した神父様方を本当に大切にされることだ。
ここまで私を導いて下さった神様に、心から感謝して、これからは、も少し成長した大人になりたいと願っている。
(平成二十年十月)