2026年03月830号
「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」 2026年四旬節黙想会に参加して
【ヨハネ渡辺彰彦(教会委員長)】
2月22日四旬節第1主日に四旬節黙想会が行われました。指導司祭である山口道孝神父様(貝塚・浅田教会小教区管理者)から頂いた「祈りの要点」は、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(マタイ3.17)という聖句を思い巡らし、それを自分の腑に落として日々実感しながら、神の望みを祈り求め、それを生き、私たちの歴史をつくっていくことにある、と理解しました。神父様によれば、この聖句は、私たち皆が洗礼に際して神から頂いた言葉です。その声が今、私たちに聞こえているでしょうか?
【ミサ説教:マタイ4.1-11】イエスさまは、悪魔の誘惑をすべて、みことばをもって退けられます。これは、イエスさまが御父との交わりの中に、常に留まっておられたことを示しています。四旬節を通して、このイエスさまの勝利の秘訣を黙想しましょう。神父様からは、インドで住み込みの家政婦として働くカトリック女性たちとの分かち合いの体験のご紹介もあり、神の恵みに信頼し、その「見えない力」を感じながら生きることの大事さについて、お話し頂きました。
【第一講話:聖ザビエル】戸部教会の保護聖人でもある聖フランシス・ザビエルの宣教の足跡(リスボン・アフリカ・南インド・東南アジア・日本・中国上川島)を、ゆかりの地のスライド画像を交えながら、概説して頂きました。そこで印象に残ったことは、聖ザビエルの宣教(=人々の魂の救い)への熱意と、聖ザビエルが常にキリストの貧しさを選び、弱い人々の支えになろうとしていたこと、そしてどこでも、祈る姿・祈りの場所が記念されていることでした。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28.20)と仰せになったイエスさまと、絶えず共に歩んでおられたのだと思います。
【第二講話:迫害に触れる】神父様の実体験を分かち合って下さいました。①カンボジア難民キャンプでの、チャンタラという3歳の女児との出会いについて。チャンタラは笑顔と声を失っていました。自分以外の家族は皆、ポル・ポト派の少年兵たちによって極めて残忍な方法で殺害されました。チャンタラはその現場に居合わせたために、心に深い傷を負ったのでしょう。それでも、やがて、ボランティアだった山口青年との関わりの中で、笑顔と声を取り戻していきます。このお話は『ちいさなチャンタラ』(絵・狩野富貴子、文・女子パウロ会)という絵本になっています。②中国・文化大革命の頃の弾圧で23年間投獄されていた中国人カトリック司祭との面談の体験。見ると「指がぐちゃぐちゃ」(で指を成していない)。理由を尋ねると、毎月一つずつペンチで爪を剥がされ、関節を一つずつ外されたとのこと。「私の23年間は、中国3000年の歴史の中では小さなものです」という意味のコメントがあったとのことです。③カリタスでネパール支援を行ったときの、司教様との会話のお話。支援が、非カトリック地域ばかりを対象にしていることを司教様に詫びると、「あなた方はネパールのカトリックの歴史をつくっている。どこにいてもいいんだ、問題じゃない」というお返事を頂いた体験。神父様曰く、私たちは誰でも、歴史の一部をつくっています。良い歴史の一部をつくる人になりましょう。それは、神に愛されていることを知っている、それを感じる心を持っている人にできることです。
【和解】故教皇フランシスコの言葉を引用しながら、神父様は言われました。私たちは和解する必要があります。他者と、自然(環境)と、そして自分自身との関わりにおいて。そうやって神と和解することができます。最後に、最澄(天台宗の仏教僧)の言葉をご紹介頂きました。良いものは他者へ、悪いものは自分の方へ、「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」。このような生き方を志すことができるとしたら、私たちにとってその基礎となるのは、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という、愛そのものである神の御声、神との親密な関わりにあるのでしょう。♰ Ave Maria賛美と感謝。