2026年02月829号
聖書の分かち合い
【アンナ増山由美子】
私はカトリック学校で教員をしています。年に1回か2回、「聖書の分かち合い」として全校生徒の前で話す機会を与えられます。以下は2025年秋の分かち合いです。
「そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」(ルカ 11.9-13)
夏休みが終わって、期末試験期間があり、あっという間に9月が終わってしまいましたが、皆さんはどんな夏休みを過ごされましたか。私は、ずっと自宅で過ごしました。というのも6月に生まれた双子の孫たちの子守をしていたからです。
双子の孫は6月半ばに、片方は2,500gより少し大きく、片方は2,500gより少し小さく生まれてきました。2人合わせて5kg。スーパーに売られている大きい方のお米一袋ほど、一人一人は本当に小さくて壊れそうな存在でした。そして、彼らは生まれて10日後から9月の初めまでを我が家で過ごしました。
私が夏休みに入ってからは、仕事に行くために睡眠をとる赤ちゃんのパパと朝3時にバトンタッチし、パパが帰宅する6時まで赤ちゃんのママと二人で双子の赤ちゃんの世話をし、夕方パパとバトンタッチをしてから大人4人の夕食作りをする毎日でした。乳幼児の世話は、ほぼ3時間毎にお腹が空いたと泣くのでミルクを与え、おしっこやうんちをすれば気持ち悪いと泣くのでオムツを交換し、気持ちが落ち着かなくて泣く時には抱っこするというものです。1日があっという間に過ぎ去り、夜にはヘトヘトになっていました。24時間体制のママの強さには、心から母の尊さを感じずにはいられませんでした。
2か月余りの経験を通して気づいたことは、私自身も誰かがこうして、ミルクを与えてくれ、オムツを取り替えてくれ、抱っこしてくれたから今ここにこうして生きているのだということでした。それだけでなく、たくさんの人の助けがあったから、今ここにこうして生きているのだということをあらためて考えることができました。私に関わってくださった全ての人々に感謝する気持ちを双子の孫たちは私に気づかせてくれました。
眠っている新生児が時折見せる微笑みを生理的微笑と言います。周りの人に「子育てしたい」という気持ちを引き出すために本能的に起こるもので、意識があるわけではありません。その微笑みは私たちの子育ての疲れを吹き飛ばすほどの力があります。当然ですが、もう私たちにはそんな本能は成長とともになくなってしまいました。その代わりに私たちにできることは絶えず祈り続けることだと思うのです。赤ちゃんのように神様に自分をゆだねて、絶えず祈り続けていきたい。そんな気持ちになりました。 この話をしたあと、ある担任の先生が私の話を聞いて泣き出した生徒がいたと知らせてくれました。前夜から朝にかけて、お母さんと大喧嘩をしたのだそうです。この日の授業では何人かの生徒が、今朝の先生のお話良かったよと声をかけてくれました。もちろん、みんながそういう感想を抱いているわけではありませんが、一人でも多くの生徒に聖書を通して考える機会を与えることができればと考えています。