2025年07月822号
内なる声
【パウロ菅田浩一郎(教会副委員長)】
大学教授となって、10年が過ぎ、今春、私は副学長に就任した。朝、研究室に出勤し「主の祈り」「アヴェ・マリアの祈り」に続いて「聖ヨセフ・カラサンスの祈り」を唱えるのが日課である。忙しさにかまけて忘れてしまうこともあるが、これが原則である。
かつて私は電機メーカーに勤務するビジネスマンであったが、11年前、当時の主任司祭アダム・クジャク神父様に依頼されて聖ヨセフ・カラサンスについて論文を執筆するということがあった。「カラサンス祭」で発表するためである。この論文はその後若干の加筆修正を経て私の勤務先大学の紀要に掲載されるに至ったが(1、当初はどこの学会誌にも掲載されていないただの原稿であった。ところが、同論文のおかげで私は准教授の職を得たのである。その経緯の詳細については省略する。しかし、後から思うと不思議なことであった。ここに神の御働きがあったのではないかと思う。
その後、大学職にも慣れ、博士号の学位も取得し、徐々に私は欲が出てきた。「首都圏の有名大学に転じ、学術研究でも名を上げたい」と、そこまで露骨なものではなかったが、ほぼそれに近似するような思いが湧き出てきた。
ところで1597年のある日、ローマのある広場に足を運んだ聖ヨセフ・カラサンスは無教育な少年の一団に出会い、その子供達の光景をみていたところ「見よ、ヨゼフ、見よ。汝に貧しき者を任す。汝を孤児の父とする」と囁く内なる声を聴き、神の御旨を悟ったという。この出来事がきっかけとなり、聖ヨセフ・カラサンスは司教座聖堂参事会員の職位を得る夢を捨て、若者の教育にその生涯をささげることとなるのである(2。
数年前のことだったと思う。勤務先大学のキャンパスを歩いていた時、ふとこのエピソードを思い出した。その後、なんとなくではあるが、日々、聖ヨセフ・カラサンスが私の耳元で「君も同じだ、私の学生達の面倒をみなさい」と囁いているような気がしてならなくなったのである。さすがに16世紀末のローマの広場でたむろする不良少年と、私が指導する学生達を一緒くたにするわけにはいかないが、愛を持って指導するべき若い力であることに違いはない。聖ヨセフが司教座聖堂参事会員となる道を捨てたことと比較したら不遜の誹りを受けそうではあるが、私も首都圏有名大学への転属などどうでもよいことのように思えるようになり、今日に至るのである。
聖ヨセフ・カラサンスは教育の聖人であり、愛と忍耐をもって教育に全生涯をささげた。そしてまた霊性と実践を矛盾なく生き抜いた聖人でもあった。この偉業は日々の祈りを通じて、内なる声として響く主の思し召しを識別し、神の愛に霊魂を投じ、神の思し召しに従うことでなされたのではないだろうか。聖ヨセフ・カラサンスに弟子入りしたつもりで、その執り成しを願いながら、今日も教育指導と研究、大学行政に取り組もうと思う。ただし、祈りに支えられた形で、である。
1. 詳細は菅田浩一郎(2018)「エスコラピオス修道会創設の史的位置づけと意義 : 聖ヨセフ・カラサンスの教育実践と霊性」『常磐総合政策研究』1. pp.69-96参照。
2. エンリケ:リベロ(1989)『聖ヨゼフ・カラサンスの生涯:教育の先駆者』エスコラピオス修道女会, pp.44-45.