2025年01月816号
希望、喜びの源
【マリノE.デハクトJr.】
降誕祭と新年おめでとうございます
聖年はこの間、十二月二十四日、クリスマスのミサで開始しました。地方教会では今年の十二月二十八日までになります。今年は恵みの時であって、希望の時でもあります。私たちは最近様々な試練がありました。コロナの問題は以前ほど大きくはないのですが、今も感染する人やずっと後遺症に苦しんでいる人がいます。戦争も所々で起きて被害者がたくさん出ています。暴力の影響下に置かれている人たち、特に戦地にいる子供たちの未来がどうなるのか大きな問題でしょう。私たちは個人的な課題であっても不安が多くて将来のことを考えたくない時があります。でも信仰者としてどんなことがあっても、希望を持つことがなくてはいけません。神様が私たち一人一人のために良い計画をお立てになっているからです。私たちは正しい道から外れてしまう時がありますが、神様は立ち返る道をいつも示してくださいます。神様が人類のために立てられた計画は、滅ぼすためではなく、救うためのものだからです。
今回、聖年のテーマは「希望の巡礼者」となっています。希望がなんであろうか皆さんはご存じだと思います。希望というのは将来のことを知ることが出来ない中で、良いことが起こるだろうと心から期待しているということです。それでも私たちは人生の中でいろいろな不安、困難、苦しみなどを体験します。悪い場合は、絶望になってしまう人たちが珍しくないです。私たち信仰者にとって神様の恵みに強められて希望を見いだすことが大切です。今回の聖年も神様のあわれみによって私たちが強められ、希望を持って信仰の旅を続けられますように。希望を持つためには、忍耐を持つことも必要です。希望と忍耐によって信仰の旅の目標、つまりイエス様に出会う道を見いだします。聖年が来る度に、私たちは神様のあわれみが旅をしている教会にいつも注がれていることを思い起こさせられます。私たちが人生の中で試練に出会う時、神様が私たちと共に歩んでくださっていることを忘れてしまいがちですから。
聖年と言えば、聖なる場所を巡礼することです。巡礼指定場所を訪問すれば、赦し、癒し、願いを叶えられるという恵みをいただけることが出来ます。世界中に有名な巡礼地が幾つもありますが、今回は国内でも巡礼地に定められた場所が幾つもあるから遠くに行かなくても大丈夫です。巡礼者として旅をする時、沈黙、努力、質素な人生の大切さを改めて思い起こさせられます。今年は多くの人々が巡礼することになると思います。元々巡礼地では巡礼者のために様々な準備がされていると思います。この巡礼地は訪ねてくる人たちにとって信仰の拠り所であって、恵みの泉になる所です。また巡礼というのは神様に立ち返るという意味もあります。だから巡礼地でミサなどを受けることが望ましいです。特に赦しの秘跡です。神様と和解することによって回心の旅の出発点になるからです。聖年の元々の目的は神様から離れてしまった被造物を元通りに戻すことだと言われています。聖年の時には、貪欲、妬み、肉欲、権力欲などによって神様から離れてしまった人間が立ち返るチャンスを与えられています。神様はいつも私たちが犯した過ちをやり直すチャンスを与えてくださいます。だからこそ希望を持つことがキリスト者らしい生き方なのです。現代、様々な問題を抱えている人達にとっては希望を見いだすことが非常に難しいです。だからキリスト者として、この希望を他の人たちと分かち合うべきです。
私たちは希望の巡礼者として招かれています。人類のために良い計画を立てられた神様に希望を置き、周りの人たちにそれを伝える者になりますように!