教会だより

2024年05月808号

聖霊が私たちのうちにおられるしるしとは何でしょうか?

【ラジュ・アントニー】


 今年の5月19日は聖霊降臨の主日です。おめでとうございます。この祭日をふさわしくお祝いする準備として、教会の誕生を思い出しながら、聖霊が私たちのうちにおられることが、どのようにしたら分かるのか、黙想しましょう。


 「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えて下さる。」(ルカ11.13)。私たちカトリック信者が望み、祈り求めるべき最も重要なことは、聖霊の賜物です。神様は、私たちの祈りの意向に基づいて、私たちの心を見究めます。上智、聡明、賢慮、剛毅、知識、孝愛、敬愛は、聖霊の七つの賜物です。
パウロがコリントの信徒への第一の手紙12章13節で、「あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるように熱心に努めなさい」と言ったのは無駄ではありません。聖霊は、それぞれ異なる賜物と恵みで一人一人を豊かにする神の霊です。この精神に忠実であればあるほど、より多くの賜物、恵みが注がれ、そして多くの実を結ぶようになります。つまり、神は御心に適う人には、喜んで複数の賜物を与えてくださいます。


 すでに頂いている賜物や恵みは、それを生かすことによって、さらに与えられます。タラントンのたとえ話(マタイ25. 14-30)を思い出してもらえれば、詳しい説明は必要ないでしょう。教会の共通善のために、さまざまな賜物と恵みが、一人ひとりに注がれています。


 「わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここで前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。」(ガラテヤ 5.16-21)


 これらは、肉の人間に現れるしるしと見なすことができます。同じように、聖霊のしるしは霊的な人の中に現れます。「これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。」(ガラテヤ 5.22-23)


 「しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。」(ヨハネ 16.13-14)


 聖霊が私たちのうちにおられることは、次のようにして分かります。「イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです。」(一ヨハネ4.2)聖霊の真のしるしとは、メシアであるイエス・キリストを、勇気をもって宣言し、ただイエス・キリストを通してのみ頂くことのできる救いの恵みを証しすることです。聖霊、私たちの心に来てください。

教会だよりのアーカイブ

TOP