2025年08月823号
聖ヨセフ・カラサンスにおける聖母マリアへの深い信心
【ラジュ・アントニー】
8月は、エスコラピオス修道会の修道者にとって、常に特別な月です。私たちの敬愛する創立者聖ヨセフ・カラサンスの祝日(8月25日)を、荘厳な典礼でお祝いすべき月だからです。聖ヨセフ・カラサンスの荘厳な祝日に加え、8月は、私たちカトリック信者が聖母マリアの被昇天の祭日(8月15日)をお祝いする月でもあります。ですからこの月に、聖ヨセフ・カラサンスにおける聖母マリアへの深い信心について思い巡らすのは、ふさわしいことでしょう。そしてそれは、私たち一人ひとりの、聖母マリアへの信心をさらに強めてくれるでしょう。

聖ヨセフ・カラサンスには、その生涯の早い段階から、聖母マリアへの信心が芽生えており、その土台は彼の家族にまで遡ることができます。ペラルタ・デ・ラ・サル(スペイン)で過ごした幼少期から、ヨセフ・カラサンスは聖母マリアへの崇敬に満ちた家庭で育ちました。母親のマリア・ガストンは、家族で毎日ロザリオの祈りをお捧げするようにしつけ、救いの歴史における聖母のとりなしについて語り聞かせていました。このように質素ではありながら効果的な実践によって、カラサンスの霊的アイデンティティの根本が形作られました。若い神学生の頃から、聖母マリアの小さなメダイを身につけ、聖母のご加護に身を委ねることで、あらゆる試練に立ち向かいました。
この信心により、カラサンスは、自らの使命であるエスコラピオス学校の指導者兼守護者として、聖母マリアを戴(いただ)くこととしまた。彼は常に、聖母マリアこそ、教育に関わる彼の使徒職の真の立案者であると信じていました。エスコラピオス学校を設立する以前、熱心なノベナの祈りをもって聖母のとりなしを祈り求めました。社会的に疎外された子どもたちに手を差し伸べていくためには、聖母の導きが不可欠であると信じていたからでした。同僚の司祭たちへの手紙の中で、カラサンスは、自らを、聖母マリアのご保護のもとで働くよう召された「それに値しない僕」と呼んでいました。彼にとっては、すべての教室と生徒たちが、聖母のご保護のしるしとなっていました。

彼は聖母マリアに関わる祈りを、エスコラピオス修道会の日々の生活リズムに織り込みました。各共同体は、聖母マリアの小聖務日課に集い、聖書に関わる賛歌を唱えながら、聖母の徳について黙想しました。ロザリオは彼の個人的な霊性の中心であり続け、夜明けのミサ前と日没時によく祈りました。お告げ、無原罪の御宿り、聖母被昇天、悲しみの聖母といった聖母マリアの祝日には、特別な典礼、行列、そして要理教育に則した黙想をもってお祝いしました。
カラサンスの説教や会憲は、マリア神学を示しています。彼は、謙遜、慈愛、そして従順な愛について、マリアの模範的な役割を強調しました。このような徳は、若い霊魂(子どもたち)を託された教育者にとって不可欠のものだと考えていたからでした。彼の著作は、マリアに倣うことで霊魂はキリストに近づくと教えています。それは、マリアが常に、注意を自分自身からそらして御子へと向けていたからです。この霊的な計画は、今もなおエスコラピオス学校の教育法に影響を与えており、優しい心遣いをもって生徒たちに同伴することが、教師たちに強く勧められています。
迫害と内部紛争の時代には、カラサンスは、聖母マリアの伝統的な画像に慰めを見出していました。当時の記録によれば、彼は試練の時に聖母マリアの御像の前にひざまずき、忍耐するための新たな勇気を頂いたとされています。政治的圧力によってローマの学校や修道会が存続の危機に見舞われたとき、彼は、聖母マリアがその霊的な子供たちを守って下さると公然と宣言しました。これらの証言は、彼の聖母マリアへの信心が、平穏な娯楽のようなものではなく、いかに揺るぐことのない命綱であったのかをはっきりと示しています。 聖ヨセフ・カラサンスの聖母マリアに対する愛は、カラサンス・ファミリーの魂そのものとなりました。幾世代にもわたって、エスコラピオス学校の教育者たちは、新しい学校や教室の開設にあたり、そのすべてを、聖母マリアのご加護に奉献するというカラサンスの習慣を受け継いでいます。世界中のエスコラピオス学校(大学)にある、聖母に捧げられた聖堂は、彼のビジョンの生きた記念碑となっています。今日、数え切れないほどの同窓生が、卒業後長い年月を経ても、聖母の存在が彼らの成長を形作っていると証言しています。聖母マリア、私たちのためにとりなして下さい!聖ヨセフ・カラサンス、私たちのためにお祈り下さい!