2024年11月814号
死者のために祈ることの大切さ
【ラジュ・アントニー】
死者のために祈ることは、カトリックの教えの中で重要な位置を占めています。それは、聖徒の交わりと煉獄の教義の理解に深く根ざしたものです。死者のために祈ることは、単なる儀式ではありません。それは、生きている信者と亡くなった信者双方の間で、愛と希望と連帯を具体的に形にしていくための、深遠な表現なのです。
カトリック信仰の核心にあるのは、聖徒の交わりへの信仰です。聖徒の交わりとは、教会のすべてのメンバーを含むもの。つまり、地上にいる者、煉獄にいる者、天国にいる者すべてを含んだ交わりです。こうした相互のつながりが指し示しているのは、愛と信仰の絆は死によって終わってしまうものではない、ということです。フランシスコ教皇は、このことを美しく表現し、死者のために祈ることは、天国において彼らが神と一つになるという希望を育みながら、彼らの命への感謝を示し、死者を神のいつくしみに委ねる方法であると述べています(2016年11月30日一般謁見演説 38.聖者と死者のために神に祈ること)。この表現をさらに強め、カトリック教会のカテキズムにおいては、教会が死者を神のいつくしみに委ねて祈ること、とりわけ聖体の秘跡という聖なる犠牲を通して祈りを捧げるということが、はっきりと述べられています(『カトリック教会のカテキズム』958、1032)。
煉獄の教義は、死者のための祈りの必要性を理解する上で不可欠です。カトリック教会の教えによれば、完全に清められないまま死を迎えた人々の霊魂は、天国の完全な豊かさにあずかる前に浄化を受けます。トリエント公会議では、煉獄を、霊魂が罪から清められる状態と定義しました。生きている人々の祈りと犠牲を通して、煉獄にいる霊魂を助けることができます。カテキズムでは、「死者のために祈ることは聖であり健全な考え」であると述べられています。こうした祈りは、死者の霊魂が神の至福直観に至るための助けとなり得るからです 。
死者のための祈りは、ただ追悼の行為であるだけでなく、亡くなった方々が神へと向かう旅路の助けとなる、執り成しの祈りでもあります。聖ヨハネ・パウロ2世教皇は、教会が、亡くなった方々とのつながりを心に留めながら、特に感謝の祭儀を通して、共同体としてともに死者を神に委ねて祈ることに、大きな意義があると強調していました。この確信は、フランシスコ教皇の著作にも反映されており、死者のために祈ることにより、死者が、生きている人々のために執り成すのを有効にすることができる、と述べられています(『使徒的勧告 愛のよろこび』257)。
死者のために祈る習慣は聖書にそのルーツがあります。ユダ・マカバイは、死者が罪から解かれるよう彼らのために贖い(あがない)のいけにえを捧げた、と記されています(二マカバイ12.45)。初期の教会もこの習慣を実践しました。墓碑銘にはしばしば、生者のために執り成しをするよう死者に求める言葉が刻まれています (『カトリック教会のカテキズム』1032)。こうした歴史的な継続性は、キリスト教の伝統全体を通して、このような祈りが大切にされてきたことをはっきりと示しています。
死者のために祈ることは、共同体意識と共通の信仰を、生きている者たちのうちに育みます。教会は、信者たちに祈りの中で愛する人々を思い起こすよう励まし、生者と死者との関わりは、単に個人的なものではなく、共同体的なものであるという考えを強めます。この習慣は、いつくしみの霊的な働きとなり、それによって信者たちは、亡くなった人々への愛と支援を表現できるようになります。
結論として、カトリックの教えにおいて死者のために祈ることの大切さは、多面的です。神学的、歴史的、そして共同体的な側面をあわせ持っています。それは、生者と死者の間で今も進行中の関わりを認める、深遠な愛の行為であり、永遠の命への希望と神のいつくしみに根ざしたものです。こうした祈りを通して、信者たちは愛する人々の記憶を尊ぶだけでなく、死を超えた神の救いの神秘に参加するのです。