2020年12月767号
待降節の過ごし方
【アントニー・ラジュ】
子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。(マルコ10.14-15)
この福音の言葉は、エスコラピオス修道会の修道者一人一人にとっては、とても身近なものです。聖ヨセフ・カラサンスの模範と教えに従って、エスコラピオス会の修道者たちは神の大きな栄光のために子供たちへの愛の使命を常に追求しています。
最近、私はソーシャル・メディア(WhatsApp)で流れていたおもしろいビデオを見ました。
ある母親が、司祭から祝福を受けるために、娘を司祭のところへ連れて行きました。司祭は祝福するために右手を挙げ、祈りを始めました。すると突然、この女の子は自分の右手を上げて司祭の掌に手を伸ばして、“ハイタッチ”をしました。皆は笑い始め、司祭も何とか笑いをこらえて、祝福の祈りを終えました。なんて無邪気なジェスチャーでしょうか。
この事は私たちにいくつかのことを思い出させます。まず第一はカトリック信仰と実践で子供を育てる両親と代父母の義務と責任です。それは、子供たちが洗礼の秘跡を授かったときに、彼らが引き受けた責任です。両親と代父母の信仰によって子供たちが洗礼を受けているのです。幼児洗礼の儀式では、司式者が、信仰宣言の前に両親と代父母を戒めます。「あなた方自身が、信仰の実践をする事により、これらの子供たちを育てる時に、絶え間ないケアをしなければなりません。神がこれらの子供たちに与える神の命が罪の毒から守られ、常に彼らの心が強く成長するように見守って下さい。」子供がキリスト者として成長するには、家庭の中でキリスト教的な環境と信仰教育を与えていくことが大切です。また、親自身がミサに参加し、教会共同体との交わりが大事です。幼児は家族だけでなく、教会共同体の愛と助けを受ける権利を持っています。そのためにカトリック教会は幼児の洗礼について両親が十分な準備をするように勧めています。
第二に、この責任は両親と代父母だけでなく、小教区の信者全体の責任です。私たちは小教区の子供たちと若者の信仰養成のために多くの霊的なことをする必要があります。戸部教会では、小教区の子供たちと若者の信仰養成の集まりが始まっています。月に一度、小教区の子供たちと若者が集まります。この集会によって、私たちは彼らの信仰生活を育て上げ、教会への帰属意識を高め、教会のさまざまな活動に興味を持ち、そして最も重要なこととして、秘跡を受けるにふさわしい準備をします。
2020年11月15日、私たちは七五三のお祝いで子供たちを祝福しました。その後に日曜学校の子供たちと上大岡の共同墓地に行き、亡くなられたすべての人、特に戸部教会の信者のためにお祈りしました。子供たちはお墓の前に花をきれいに飾り、特に亡くなった信者のため、また他の人々のための祈りを捧げたことは、彼らにとって良い経験になったと思います。
私たちは今、イエス・キリストの誕生を祝う準備である、待降節を迎えています。この時、私たちは、イエス・キリストが幼子として私たちのうちに来られたことを記念します。子供たちのような無邪気さと熱意をもって、幼子イエスを心に迎える準備をしましょう。皆さん、実りある待降節をお過ごし下さい。神の祝福が皆さんの上にありますように。