2022年08月787号
天国への準備
【アダム・クジャク】
ポーランドの司祭で詩人でもあるヨハネ・トヴァルドヴスキ神父の詩の中に「人々は早く旅立たれるので、彼らを急いで愛しましょう。」という一節があります。聖書のフィリピの信徒への手紙にも「私たちの本国は天にあります。そこから主イエス•キリストが救い主として来られるのを待っています」と書いてあります。人間はこの世では過ぎ行く存在です。いつこの世に別れを告げなければならないか誰も予測ができません。だから私たちは毎日霊的な準備をする努力が必要です。
ここ最近戸部教会信者の方々を神様の元に送りましたが、元気に通っていた姿を思い出すと昨日のようです。
比企野潔子さん――比企野さんとは10年前に藤沢教会から戸部に移籍した時に初めて出会いました。善野さんや横江さんと学友だったと言う事で、3人はいつも仲良く一緒でした。私は彼女たちに三位一体とニックネームをつけたぐらいです。
そして3人は私を何度も夕食に招待してくれたり、クリスマスシーズンだとクリスマスキャロルを歌って、日本語の会話の練習をしてくれました。クリスマスの夜のミサの後に、温かい美味しいミネストローネを教えて婦人達と作ってみんなに提供したり、イースターでは編んだニワトリの作り方を教えて、皆が『ニワトリ』を受け継ぎ今では定番になって喜ばれています。また、彼女と卓球の試合を数回しましたが、年齢とは思えないくらい若いプロの選手のように上手でした。教会に来られなくなってきた時に、娘さんから連絡が来て、病院で病者の塗油の秘跡と御聖体の恵みを頂き、信者として準備をして旅立たれました。
小茄子川宏さん――私は料理を作る事が趣味なので、プロの料理人である小茄子川さんは私にとって料理の腕をあげるために強いインパクトを受けた方でした。ハムやソーセージなどを作るたびに、小茄子川さんに試食をし、評価をしてもらいました。いつか私が作ったソーセージを味わった後、彼は「神父さん、エスコラピオス会を辞めてレストランを開いてくださいよ」と言われました。彼の言葉は私にとって最高の名誉でした。 数年前、彼のレストランでポーランドに研修旅行に行く人たちのための、ポーランドの伝統的料理を味わう会の料理を紹介して準備をするように頼まれ、行ったらシェフの白衣を用意され、大きな厨房で料理を作り、楽しかった事を思い出します。
そして小茄子川さんは私たちの会の修道者の誕生日やカラサンス祭や男子部会など戸部教会で何度も美味しい料理を作ってくださいました。彼のおかげで、信者は色々な料理を味わいながら、会話をし、交わりも出来て、親密になる機会を作ってくれた事を感謝しています。病気になっても一生懸命家族のために働いていました。この6月6日に奥さんに頼まれて病者の塗油の秘跡と御聖体の恵み頂き、準備をして旅立ちました。
橋本芳江さん――彼女は子供頃からご両親や兄弟と一緒に戸部教会に通っていてとても親密な関係であったと聞いています。芳江さんは模範的な信者でした。彼女は戸部教会に宣教師として派遣されたエスコラピオスのすべての司祭やブラザー達を尊敬し、彼らが死んだあとには、必ず記念日を忘れず、家族と同じように彼らのためにミサをささげることを頼まれました。若い頃にはレジオ・マリエのメンバーとして、聖母マリア様に献身的に仕えて、何年もの間、初土曜日のロザリオの祈りを何人かのグループで唱えていました。頑固な所もありました。でもその頑固さは絶対にミサに来る、必ず祈りをするという尊敬に値する頑固さでした。御聖体賛美式も大好きで、毎週木曜日のベネディクションに出席して一生懸命歌っていました。晩年の彼女の好きな奉仕は、日曜日のミサの参加者のためのお茶の準備することでした。そこで初めて戸部教会に来た人には、疎外感や不安にならないように話かけるという特別な才能を持っていました。そのように過ごしていた彼女を最後に見かけたのは、小茄子川さんのお葬式に参加した後、教会にみえなくなったので心配して電話をかけても連絡が取れないし、10日の日曜日に何だか胸騒ぎがしてもう一度電話してもらうように金松さんに頼みました。姪御の仲嶋米子さんに見てもらったらその時は残念ながら、もう旅立たれていました。 この方々のように『自分の死』について考え、心構えて先立った戸部教会の信者のために祈りましょう。