教会だより

2020年05月760号

四旬節黙想会

講師:ガエタノ・コンプリ神父様

3月22日(日)四旬節黙想会がおこなわれました。
ミサはコンプリ神父様とアダム神父様、ラジュ神父様の共同司式でした。
コロナヴィールスの影響で人が集まるか心配していましたが、大勢集まり、遠方からも参加して下さいました。参加なさった方々から説教、講話、ゆるしの秘跡まで受けられて本当に良かったと笑顔でお帰りになられて、無事に終わりました事を神様に感謝せずにはいられませんでした。

<説教>
第一朗読 サムエル記16章  第二朗読 エフェソの手紙5章  福音書 ヨハネ9章 シロアムの池の盲人の話:盲人はイエスの姿は見えないけれど、イエスと分かり信じた。
私たちは洗礼によって暗闇から光を得て、心の目が開き、見えるようになった。今の世の中はお金、経済ばかり優先して人間のこと、家庭や弱い人を無視し、虐待や差別など見ようとしない。神は弱い人の味方で、最後まで見捨てません。イエスはその人の身になって、私たちのために苦しみの極、十字架につけられるまで愛してくださる方です。
弟子たちも話は聞いていたが、理解できずヨハネ以外十字架の下には近づかなかった。人間は残酷です。しかしイエスはこの十字架の受難をうける必要などなかったのに、残酷な人間を救うためにあえて受けてくださったのです。そして復活した事実から、弟子たちの目が覚めたのです。見て信じた。そう考えると十字架にも意味があります。
今騒がれているコロナヴィールスにも、後になれば何か意味があるのかも知れません。暗闇から光をもたらされた私たちは、いつか惑わされず信仰の目を持ちますように。

<第一講話>

聖骸布のオリジナルは、イタリアのトリノにあります。今日は聖骸布のレプリカとネガになった物、スペインの北の方にある街オヴィエドにあるスダリオという布のレプリカを持ってきました。
イエス様のご遺体を包んだ亜麻布は、麻より柔らかいリネンでした。織り方は杉綾織で紀元前からその手法はありました。この布は幅約1.13m×長さ4.41m、この布でイエス様のご遺体を縦長にサンドイッチのように包まれました。よく見える模様で白く抜けている部分が目立ちますが、この模様は1532年フランスのシャンベリーで起きた火災で焦げた所を修復した跡ですので、あまり見ないでよい部分です。大事な事はこの布にイエス様の顔、身体、槍を刺された胸の跡、茨の冠を被せられた跡、鞭打ちの跡などです。不思議なことはこの布に人間のシルエットがうっすら見えます。復活した時に、身体から強い光線が出て布にネガの様に写ったのでしょうか。今若者たちはセルフィー(自撮り)を使っていますが、人類の最初にセルフィーを使った方はイエス様ではないでしょうか。1898年に写真家が最初にこの布を映し現像したところ、写真にイエス様の姿がくっきりと浮かび上がりました。復活なさった時に一体何が起こったのでしょうか。
オヴィエドの布(スダリオ)は、十字架から降された時に、肺から逆流した液体と血をこの布で口を覆い顔に当て、頭を下から支えながら墓に運んだ時の布です。亜麻布に包んだ後は、丸めて別の場所においてありました。聖骸布とスダリオの茨の冠の跡が一致します。
それらの布は経済面でも美術面でも価値がなく、血だらけの布としてマイナス価値であるにも関わらず何故保存したのであろうか。

<第二講話>

大学の時、聖骸布と出会い70年間研究してきました。新共同訳聖書 ヨハネ福音書20:6節「亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ場所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。」ヨハネだけが葬りの様子を描いています。フランシスコ訳聖書には、「聖骸布は平らになっている。イエスの頭にあった手拭いが亜麻布と一緒に平らになっておらず、元の所に巻いたままになっていた。」と書かれています。
聖骸布に包まれた人の血液型はAB型で、頭の部分に茨の冠と思われる傷跡、肩からふくらはぎまでの100以上の鞭打ちの傷跡(ユダヤ人が鞭打ちにする場合、申命記25章に40発を越えないようにと定めてある)から、ローマ兵が100以上打った。その当時のローマ兵が持っていた鞭は独特で、柄から二本の皮の紐で、先端に鉛の小さな玉が付いている物でその跡がついている。その鞭打ちが致命傷で死なないように心臓は避けている。手首と足には釘を貫いている跡がある。普通受刑者は呼吸、排気をするために足を踏んばり、上下運動を繰り返しそして力尽きて死ぬ。イエスの両側の2人は、スネを折って死なせたが、イエスは死んでいたので、スネを折らず、脇腹に槍を突き刺し、血と水とが流れ出た。それも血清と血餅に分離していて明らかに死後の血であることがわかる。
また布から花粉を採取することが出来て、イスラエルに沢山自生していて5月に咲くオリーブの花粉ではなく、パレスティナ地方の死海の非常に限られた場所に存在している花で3月下旬から4月上旬に咲く花の花粉だった。
ユダヤ教では血は汚れたものだし、残しておく価値等ない布をなぜ取っておいたのであろうか。炭素14のテストでは中世に作られた布と断定した。しかし今の所、誰も作った人の名前を挙げた者はない。何のエネルギーで姿が布に刻まれたのであろうか。何年もの間、迫害、戦争、火災などを経て必死に守ったのはなぜか。それは明らかにキリスト復活の物理的証拠となるからではないか。キリスト復活により弟子たちは、やっと本当の意味でキリストのことがわかったのです。
今日は聖骸布についてお話しをさせて下さって、ありがとうございました。神様に感謝致します。そして日本で初めて聖骸布を紹介しました、自然科学と音楽を愛したチマッティ神父様のためにもどうぞ御祈り下さい。もっと詳しい事は、復活祭頃までに、聖骸布のホームページを新しくしますので、どうぞ御覧になってみて下さい。

編集後記:聖骸布の講話をして頂きまして、イエス様の受難をより深く理解することが出来ましたことを感謝致します。もっと詳細をお知りなりたい方は「これから聖骸布コンプリ神父がその真相を語る」という本を、今ですと戸部教会で1200円(税込)でお分けすることができます。(在庫のある 限り) 

文責 手束たまき

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