教会だより

2024年06月809号

人生の嵐、信仰によって静める

【マリノE.デハクトJr.】

海は人間を魅了するものです。私は海に囲まれている所で育てられ、良い思い出だけではなく、悲しいこともありました。海で遊ぶことは楽しいですが、気を付けていても事故が起こることもあるからです。ある方々は海の恵みによって生活していますが、海で亡くなられた方々もいます。人は海の破壊的な力と美しさを不思議に思っていますが、その破壊的な力が恐怖を引き起こす時もあります。海には人間の手に負えない力があるからです。聖書の中でも同じようなイメージがあります。創世記では神様は混沌のイメージで海の力を支配され、出エジプト記ではユダヤ人たちがエジプト軍から逃げられるように神様は海を分けられました。ヨブ記では海は神に支配されました。最後にヨハネの黙示によれば新しい天と新しい地には海はないと聖ヨハネは幻の中で見ました。

 聖マルコの福音書(4:35-41)では、自然の力もイエス様に従うということを示しています。イエス様が弟子たちと一緒に船に乗っておられた時、とつぜん突風が起こりました。神学者たちの解釈ではこの激しい突風というのは教会や個人の問題だと言われています。何か大きな問題が起こると、よく嵐に例えられることがあります。私たちは確かにいろいろな問題を体験しています。ある問題は外から来るものですが、内面から来る問題もあります。内面的な問題と言えば、不安、うつ病、迷うことなどです。外から来るものより内的な問題のほうが危ないと言われています。人間は精神的にしっかりしていれば、どんな問題があっても必ず乗り越えることができるからです。逆に内的な精神に問題があれば人間の生きがいを失う可能性が高くなります。この出来事によって、つまりイエス様が突風を静めたことによって私たちは内的な問題に対する解決の仕方を学ぶことができます。嵐つまり人生の中で起こっている問題は過ぎ去るものだと私たちに思い起こさせます。問題はどんな大きくても嵐のように必ず過ぎ去ります。神様は私たちのことを良くご存じなので、私たちがどこまで耐えることができるのかお分かりです。時には、私たちは嵐が過ぎ去るまで待たなければなりません。その時、祈ることと教会から離れないようにすることは大切です。大変な状況の中にいる時こそ、信仰生活を保たなければなりません。このような時に、祈りなんか役に立たないし、神様は私たちのことに無関心であると思うかもしれませんが、信仰で持ちこたえるべきなのです。また嵐の時、つまり危機を体験している間は仕事を辞めることや、他のところに行ってしまうことなどの大事な決断はしないほうが良いでしょう。風のない時、静かになった時によく考えて決断をすることが望ましいでしょう。

聖パウロの手紙の中では、私たちがイエス様のように全てのものを見なければならないと言っています。イエス様は受難を受けた時、苦しみを受けることだけではなく、受難によって人類が救われて栄光に入ることを望まれました。信仰の目によって私たちも困難の中でも希望を見いだすことができます。嵐の時、弱い木は根こそぎ倒れることがありますが、新しい植物の芽が出てくるチャンスも生まれます。信仰があれば私たちもどんな嵐であっても、壊されるのではなく、より強い信仰者になれるのです。

最後に、忘れていけないことは、イエス様はいつも私たちと共におられて、持っている信仰を強めてくださるということです。弟子たちは嵐の中でイエス様に「先生、私たちがおぼれてもかまわないのですか」と言ってしまいました。彼らは捨てられたと思って、恐れながらその言葉を言い出してしまったでしょう。彼らも私たちと同じようにイエス様に対する信仰が揺らいでしまう時がありました。しかしイエス様は、弟子たちが疑いを感じる時、いつも助けてくださったのです。私たちも大変なことを体験している時、イエス様は助けてくださるのです。信仰がある人は見捨てられることはないということは確かなことですから。

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