教会だより

2023年12月803号

主を迎える準備

【マリノE.デハクトJr.】

クリスマスが近づくと、日々の生活は忙しくなると思います。日本のことはよく分からないですが、フィリピンでは様々なイベントが行われるので、いろいろな準備をしなければなりません。親戚の集まりとか、会社のクリスマスパーティーとか、同窓会などです。これらのイベントは、皆が夢中になり、楽しみにしているのです。そのために、クリスマス本来の意味を忘れてしまうことがあります。また現代、クリスマスがどこの国でも商業ベースにのっており、クリスマスの飾り物に聖家族以外のものも増えています。それなのに、今でもクリスマスをふさわしく迎えることが出来るために、大切な一人の人物の姿は、飾られていません。それは、洗礼者ヨハネのことです。今、私たちは、待降節の時期を過ごしています。この期間は、良いクリスマスを迎えることができるように、教会が私たちのために作っています。また、洗礼者ヨハネの教えと模範を学ぶことによって、私たちのクリスマスをふさわしく祝うことが出来ます。

 毎年、クリスマス前に洗礼者ヨハネの事が、中心になる時があります。彼の語った言葉は、イエス様の到来を指しており、人々が、そのイエス様の到来をふさわしく迎えるために、何をするべきかを話されたからです。しかし、彼が教えたことは、今、多くの人々が、おこなっているクリスマス準備のやり方ではありません。彼は、イエス様をふさわしく迎えることができるように、主の道を整え、その道をまっすぐにせよ、とおっしゃいました。つまり彼は、イエス様をふさわしく迎えることができるように改めて回心することが、必要だと述べています。福音に書かれている通り、洗礼者ヨハネは、荒れ野で罪の赦しを得させるために、悔い改めの洗礼を授けました。また彼は、神の前に偉大な方ですが、謙虚な心を持って宣教しました。彼は、自分に与えられた使命を分かっていて、人々の前で自分は、イエス様の履物のひもを解く値打ちもない、と告白しました。私たちは、洗礼者ヨハネのイエス様に対する態度から学ばなければなりません。神様のことを他の人たちに述べ伝える時、自分ではなく、イエス様が、いつも中心になるべきなのです。洗礼者ヨハネは、私たちのために良い模範と教えを残しています。それらを実行すれば、クリスマスに良い実りが得られるでしょう。

 待降節の典礼は、今年も改めて私たちが、クリスマスをふさわしく迎えることが出来るように準備すべきものが、何であるかを思い起こさせてくれます。物質的なものより、霊的なものの方が大切だと、皆さんが、ご存知だと思います。洗礼者ヨハネもイエス様の到来を迎えるために霊的な準備、つまり清い心、正しい道から外れないことが、一番大切だとおっしゃっています。私たちは、快く兄弟姉妹を赦すこと、自分が間違っているということ、つまり犯した罪を潔く認めて、赦しを請うことなどによって、待降節を正しく過ごすことができます。また、洗礼者ヨハネの生き方から、見習うことも重要です。彼の人生は短かったのですが、単純な生活をして世俗的なことには、あまり興味はなさそうでした。確かに彼には、特別な使命が与えられていて、普通の人たちとは、違う生き方をなさいました。でも彼の模範から見て、もし私たちの心が、世俗的なものを捉えなければ、洗礼者ヨハネと同じように、イエス様の到来をふさわしく迎えることができます。クリスマスは希望の時だと言われていますが、イエス様のこと、また主の教えを忘れたら、クリスマス本来の意味を失ってしまう可能性があります。まことの平和、和解ということが、社会、家族の中で行われることを私たちは望んでいるのですが、神様の恵みがなければ不可能です。洗礼者ヨハネが、悔い改めることによって、私たちはイエス様を迎えることができ、イエス様による新しい命を与えられる、と言われているとおりなのです。

 私たちは、洗礼者ヨハネの模範を思いながら、今の時期が、より良い実りがありますように互いに祈り合いましょう。

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