教会だより

2023年08月799号

ヨットのセイリング(帆走)から学んだこと

【アダム・クジャク】

セイリングは日本でかなり贅沢なスポーツのようですが、ポーランドでは青年たちが学校でもよく参加する競技です。ヨットと聞くと、たとえ乗ったことがなくとも心地よい風を体にうけながら、広い海原や湖を走る心地よさを想像してみてください。ヨットは、エンジンがなくても風を利用し、自分たちの身体を使い、自分の選択した方向へ進んで行く、私の高校生時代は、毎年夏休みに大きな森に囲まれた湖に行き、五人乗りの競技用ヨットのセイリングをすることに夢中でした。そして私にとってセイリングは、常に新しい経験を得、多くのことを学ぶ機会になりました。

ヨットレースに参加すれば、タイムを競いあい、一番乗りをしたいと思いますが、早く進ませるには危険が伴います。帆にあたる風の方向によってヨットは傾いてしまいますから、舵を取りながら、帆についているロープを必死に握りしめ、倒れないように頑張らなければなりません。

そのときにあまりロープを強く引きすぎることも転倒する可能性につながります。私たちの日常でも似たような状況にあうことがあります。

自分の決めた目標に自分の能力、才能を使い、全力投球して頑張らなくてはなりません。そして逆境に直面する時にもあります。失うことも敗北することもあるでしょう。

ヨットレースの目標はゴールです。そのゴールに焦点を当て、全身を集中させ向かいます。そのときに、隣のヨットの性能の良さを比べたり、ヨットを運転している人と自分の技術を比べたりしていると注意が散漫になり、負けてしまいます。

人生もこれと同様に天国へ集中せずに他人と比較し、批判したり、悪口を言ったりしていれば、天国へのゴールへの道から外れてしまいます。

ヨットにはタッキング(Tacking)と言って、ヨットの舳先を風上に向けて、ヨットの側面の向きを変える方法があります。そのときジグザグ走行し、舵と帆を使い、ヨットの船首の方向を変えなくてはなりません。

人生でも賢くて逆境の力と試練を自分の利益のために使うことができます。

蛇行運転していると波をジャンプし、ヨットの重みで波にぶつかり、ヨットの中に浸水してしまった時は、皆でかき出さなければ沈没する恐れが出ます。

私たちの人生も、困難や、人間関係の壁にぶつかったり、絶望感がわくことがあります。しかしこのような波の攻撃にあっても、決してあきらめてはいけません。私たちの人生のヨットに入り込んだ水(罪)はかき出し、解決しなければならないのです。

ヨットレースで最も大切なことは、ヨット同士の接触事故を予防するルールです。これをさけるため、権利順位というものが決まっています。権利順位の低い船は(小さい船)、高い船に(大きな船)譲らなければなりません。そして二艘のヨットが風上に向かって走っていて、接触する危険がある場合は、右側から風を受けているヨットが優位で、左側から風を受けているものは、進路をゆずらなければいけません。ルールを破った場合は、罰則が科せられます。

私たちも霊的な傷を受けないように、神のみ言葉(聖書)と教会の教え(カテキズム)の規則を守らなければなりません。

ヨットを走行させている中では、責任者の指令や指示に無条件で従い、チームとして一体となって協力し、実行する必要があります。もしメンバーの一人でも行動が遅くなったり、従わなかったりすれば、湖や海に落ちたり、マストの下のアルミニウムの横の棒(ブーム)にぶつかったり、事によっては、転覆するおそれがあるからです。

私たちも人生のヨットが転覆しないように、戸部教会のチームとして、協力していきましょう。

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