教会だより

2017年04月723号

イエス様につながること

マリノE.デハクトJr.

 春は一年のうちで一番良い季節だと言われています。植物のつぼみ、花などが出てくるし、青々とした草もどんどん出てきます。この自然のいぶきは私たちにも励ましになります。冬が去り、私たちの気分も変わってきて、植物のように新しい始まりがあると感じます。普通は多くの人たちがこの時期には庭仕事に力を入れて枯れた枝、葉などを集めて捨てます。それは新しく出てくるつぼみ、葉、花などが綺麗に見えるためなのです。

 ヨハネの福音でイエス様は自分をぶどうの木に例え私たちはその枝だとおっしゃり、特にぶどうの木につながっていない枝のことをお話になっています。

私たちは信仰をいただいてイエス様は神の子だと信じました。しかし真のぶどうの木、イエス様につながっていない事がないでしょうか?信仰生活の中で朝の祈りや寝る前の祈りを忘れることとか、小さな罪だからと言って赦しの秘跡を受けないことなど、小さなことでもイエス様から離れてしまうかもしれない原因はたくさんあります。小さなことを無視することに慣れてしまうと、大切なことも大事にしなくなる時が必ず来てしまいます。そうなると祈っていても、唱えている言葉は心の中から出てこなくなり、ただ口先だけで唱えていることになってしまうのです。信仰を表す時に心から出てくる言葉でなければ、真のぶどうの木であるイエス様から離れてしまっていることになるでしょう。イエス様の教えから離れている時、私たちは木から切り離されて枯れた枝のようになっているのです。そういうことにならないように私たちは「教会」によってイエス様につながり続けることができます。

聖パウロが回心した後、エルサレムにある共同体で宣教活動をしていました。その時、聖パウロの信仰は純粋かどうか共同体によって確認されました。彼はその共同体のキリスト者たちと一緒に迫害も恐れずに福音を伝えたからです。聖パウロが一人ではなく教会と一緒に活動したということは教会と交わることによって本物の信仰を表すことになったのです。もしある人がイエス様を信じると言っても教会のことを無視すれば偽りになるでしょう。教会の活動に参加することによって信仰生活は豊かになってバランスが良くなります。個人的な祈りもイエス様につながり続けるために大切です。ミサは私たちの信仰生活の中心ですが、日常生活でも祈りの時間を作らなければならないのです。み言葉を聞いて、学んだことを実践することは大切なことだからです。また良い行いによっても私たちはイエス様につながれます。信仰を表すために周りの人に対して良い行いをすることも、人間関係、仕事、などに影響されるのです。  春夏秋冬の巡りと私たちの信仰生活は同じようなものだと分かります。冬の後には必ず春が来ます。ご存じのように春の季節は新しい始まりという意味があるので、同じように復活節にはより良いキリスト者になるチャンスがあるということです。

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