2023年06月797号
自然の中でのミサ
【アダム・クジャク】
今年は春が短く梅雨はどうでしょうか、すぐに夏になってしまいそうです。夏になれば多くの信徒も休暇を取りたくなります。夏と言えば夏休みです。私も霊的な成長に大きな影響を受け、創造主の素晴らしさを身近に感じた事を思い出します。
「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」(ヨハネ14・13-14)
私がポーランドにいた頃、夏休みに祈りのグループと一緒に北の方の綺麗な森林へキャンプに行き、美しい川で川下りをしながら過ごしました。
ある日、私たちは湖の中にある島にボートで渡り、キャンプをしていましたが、夜の間に、気温は突然下がり、強風が吹いて、そしてさらに、激しい雨が降り始めました。我々は、一切の文明の力から切り離されました。強風と雨で湖の波は高くなり、岸に渡るには、あまりにも危険でした。一日が過ぎ、二日過ぎても、天気は一向に変わりません。我々がこの危機から脱出するために、天候が変わるようにと祈り始めたら良いのではないかと考えました。昼に男子、女子、そして私もそれぞれのテントで祈っていました。私はどうしたのか自分では分からないのですが、祈っている最中に寝入ってしまいました。そして、私は自分が草原に立っている夢を見ました。サングラスをかけてミサをあげている姿が見えて、太陽の光が非常にまぶしく、私の目から涙が出ました。その時に目が覚め、「きっと明日は天気が良くなり、島を出発することができる」ということを心の中で感じたのでした。そして、晩の祈りの時、私は、「神様に私たちの祈りが届いて、明日には天気がよくなりますから、そしたらこの島を脱出できます」と知らせました。誰も私を疑いの目で見ていて、風も雨も止まないから、みんなを勇気づけるために言っているのだと思っていました。しかし次の日、皆が起きて、すっかり晴れた青い空、輝かしい太陽を見たときの人々の顔、想像してみてください。そして定宿に移るために30キロほど川を下りました。しかし、そこは別のお客でふさがっていて、宿泊することは出来ず、しかたなしに1キロほど川を下り、別の場所で泊まることにしました。皆疲れ果ててしまい、その日はぐっすりと眠ってしまいました。
次の日の朝、草の上に3台のボートを逆さにして祭壇を作り、ミサをあげました。船底の白い色が太陽の光を反射させ、祈りの本を読むことができなかったので、私はサングラスをかけなければなりませんでした。―――そして私はすごく驚きました。目の前に広がる草原は、私が昨日夢でみた所と同じであることが分かりました。
「ハレルヤ。天において、主を賛美せよ。高い天で、主を賛美せよ。御使いらよ、こぞって、主を賛美せよ、主の万軍よ、こぞって、主を賛美せよ。日よ、月よ、主を賛美せよ、輝く星よ、主を賛美せよ。野の獣よ、すべての家畜よ、地を這うものよ、翼ある鳥よ、……主を賛美せよ。」(詩編148、1-3、10)
川下りの時も毎朝ミサをあげていました。川岸の草原でカヤックを重ね祭壇を作りました。ある日、ミサの準備のため、ギターで歌の練習をしたりしていた時、遠くの森からナイチンゲール(西洋の鶯とも呼ばれる鳥)のきれいな鳴き声が聞こえてきました。そしてミサが始まった時、ナイチンゲールは森から飛んできて祭壇の最も近い松の木に止まりました。聖変化の時には、私の頭から30cm位のところの木の枝先に止まりました。キリストの御体を掲げた時に、きれいな声で鳴き始め、キリストの御血のカリスを持ち上げるとまた小鐘の代わりに鳴いて、皆びっくりしました。私も含めてみんな感動されて目に涙を浮かべていました。そのようにナイチンゲールは一生懸命美しい歌声で創造主である神を賛美しました。ミサが終わる時までずっと木に留まっていました。
別の日には、今度は水辺に(湖をバックに)ミサをあげたその時、白鳥の群れがきて、まるで天使が降りてきたかのような光景でした。それらの経験した美しさと言ったら自然の中の鳥たちと、私も一緒にいた若者たちも自然の中でのミサで神様を賛美し、心よりミサの素晴らしさを言葉では言い表せないほど感じることができました。動物は人間より神の存在を感じているのではないかと思われます。