教会だより

2017年07月726号

キリストの聖体

アダム・クジャク】

6月18日はキリストの聖体の祭日でした。この日に日曜学校の一日錬成会で親子でバチカン市国ローマ法王庁(教皇庁)大使館を訪問しました。

Joseph Chennoth大司教様がミサを挙げてくださり、その時の説教が素晴らしくて是非信徒の方にも読んでいただきたく思い引用させて戴きました。

「親愛なる兄弟姉妹の皆様、子供たち」

私はこのご聖体の祝日に、みなさまがた戸部教会のご両親とお子様たちのためにミサを捧げることができてうれしく思います。教皇フランシスコは、あなた方を祝福しあなた方にお祈りを求めています。誰もが「あなたは私を愛していますか?」と言う質問をするでしょう。子供たちはご両親に、そしてご両親は子供たちに聞きます。この質問に、どう答えたらよいか考えてみてください。それよりむしろお互いに愛し合う、具体的な行動で示してみてください。ご両親はあなたたちのお世話をすることで愛を表現できます。あなたたちはご両親が喜ぶことをしたり、素直に言うことを聞いたりして愛を表現できます。

今日、イエス様はあなたたちに、「あなたは私を愛していますか?」と聞かれます。イエス様はあなたの答えを聞きたいのです。イエス様が喜ばれる何か具体的なことをすることで、イエス様への愛を示してください。あなたは誰かを愛していたら、その人のためにどんな犠牲でも払えるのです。これはイエス様が私たちのためにしてくださったことです。イエス様は「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と言われました。イエス様が十字架上で亡くなられたのは、私たちを罪と死の奴隷状態から救い、私たちに神様の子としての権威を与えてくださるためでした。だから、私たちは神様を「お父様」と呼ぶことができるのです。私たちには共通の「お父様」がいるのですから、私たちは兄弟姉妹であり、お互いに愛し合わなければなりません。

ご聖体は、主の死と復活を記念して、カトリック教会とすべてのキリスト教徒の生命の中心です。神様は私たちにとって「我らがその中に生き、動き、存在する」(使徒言行録17・28)至高の存在であるだけでなく、私たちを養い、支えてくださる本当の存在なのです。イエス・キリストは私たちの中で生きるために来られ、神の右の座につくために天に昇られる前にパンと葡萄酒の形で私たちにご自身を与えてくださり、世の終わりまで私たちとともにいてくださるのです。

イエス様は、群衆にこう言われました。「私は、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。私が与えるパンとは、世を生かすための私の肉のことです。」この言葉を聞いて、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなりました。そこでイエスは、十二人の弟子たちに、「あなた方も離れていきたいか?」と言われた。シモン・ペトロは「主よ、私たちは誰のところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、私たちは信じまた知っています」と答えました。

ご聖体は、神との交わりの源であるだけでなく、兄弟との交わりの源でもあります。私たちは同じパンを裂いて、キリストの体に預かります。聖パウロはこう言っています「パンは一つだから、私たちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです。」したがって一致と平和が必要であり、イエスは次のように警告しています「だから、あなたが祭壇に供え物を捧げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰ってきて供え物を捧げなさい。」

(マタイ5.23-24)

ご聖体は、私たちの霊的空腹を満たすために、キリストの兄弟として共にする食事に供されます。福音書に私たちは皆でそれを食べ、養われる。なぜならご聖体は私たちを養うすべてのパン以上のものであり、この世の砂漠で私たちの渇きを潤すすべての飲み物以上のものだからであるとあります。それは、過ぎ越しの子羊と、岩から湧き出た水と、ユダヤ人たちが養われた不思議なマンナによって前もって表されていました。

ご聖体の実りが、崇拝と称賛で満ちた、謙遜で純真な信仰となりますように。そして、神聖化の道具とキリストに変容されますように。聖パウロのように「生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。」(ガラ・2.20)と言えますように。ご聖体のイエス様が、私たちの中でとても寛大で摂理に満ちた神様への永遠の感謝の気持ちを生み出してくださいますように。私たちの心の中に、兄弟姉妹への誠実な愛と一致と優しさを生み出してくださいますように。私たちの魂が、復活して神様を永遠に見ることができるという恵みに満ちた希望で満たされますように。 

ミサ後には、広間で子供たちに大司教様が質問をなさったり、また子供からの質問に答えて下さったりして、子供たちが「さくら さくら」の踊りをご披露しました。お昼は大司教様、オビエジンスキー神父様と共に大食堂でシウマイ弁当とメロンを頂き、まるで大きな家族のような和やかな雰囲気でした。食後は館内を案内していただき、子どもたちは庭でバトミントンや鬼ごっこなどして遊び、雨に降られる前に帰宅しました。1日でしたが、とても充実した親子で楽しめる錬成会でした。

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