教会だより

2022年05月784号

聖母マリアを敬う五月信心

ラジュ・アントニー

「神は、すべての恵みが聖母マリアを通して私たちのところに来ることを望んでおられます」(聖ベルナルド)。

マリア様に対する伝統的な5月の信心の起源は、まだ比較的知られていません。歴史的に見ると、特別な儀式によって5月を聖母マリアに奉献する習慣が、いくつかの地域で、17世紀には始まっていたことが確認されています。今の形の聖母マリアへの信心がイタリアで始まったことは確かです。

それは、18世紀の終わり頃のローマでのことでした。5月のある晴れた晩、ある貧しい家庭の少年が、自分の仲間を集めて、聖母マリアのご像のところへ連れて行きました。聖都の習慣として、その前には灯が灯されていました。そこで、この子供たちは元気のいい若々しい声で聖母の連祷を歌いました。翌日、この小さなグループは、他の子供たちを連れて、再び神の母の足もとに集まりました。次に母親たちがやって来てこの小さな集会に加わりました。すぐに、他にもグループがつくられ、この信心は急速に広まりました。聖座は、この無秩序な行為が絶えず拡大し、快適な春の到来とともにさらにゆゆしい状態となることに苦慮しながらも、これらの成長する信心の中に神の御手を見出し、この新しい信心を公然たる厳粛な償いの行為として承認し促進することによって、み摂理のご計画に協力しました。聖母マリアの月が設立されました。(Cf. A Carthusian, A Month with Mary, 1950.)

「五月がすぐそこまで近づいています。五月は長い間、信者の信心が、神の母マリアにささげられてきた月です。わたしは、まもなく地上のすべての場所で天の元后にむけてささげられる信仰と愛の感動的な賛辞のことを思い、喜びに満たされています。というのは、この月の間、キリスト者は、教会堂においても家庭においても、おとめである母に、よりいっそう熱心で愛に満ちた名誉と尊敬のわざをささげるからです。この月こそ、わたしたちの母の座から、神のあわれみ深い恵みが豊かにそそがれる時です」(教皇パウロ六世回勅「メンセ・マイオ」1)。

十字架のもとに立っていた時の聖母マリアの苦しみは、計り知れないほど深いものだったでしょう。 その時イエスはマリアを、愛する弟子の母に定められたと同時に、人類の母にお定めになったのです。だからこそ第二バチカン公会議は聖母マリアを教会の母と呼んでいます。だから、神の母マリアは私たちの母でもあります。

カナでの婚礼のとき、聖母マリアはぶどう酒がなくなったことをイエスに知らせました。イエスのご返事は、聖母マリアのお願いを断るように聞こえました。しかしながら、聖母マリアは召し使いたちに、「何でも、この人の言う通りにしてください」(ヨハネ2:5)と言いました。 するとイエスは、聖母のご希望どおり、奇跡を行なわれました。イエスに対する聖母の力強い取次ぎは、私たちの希望と慰めの源です。

私たちの時代には、私たちカトリック信者は、いつも聖母マリアに近づきたいと思って、5月に聖母マリアに特別なプレゼントを捧げます。それは、たとえば、巡礼、聖母マリアに捧げられた教会への訪問、聖母マリアの光栄のための小さな犠牲、聖母マリアについての研究、そしてロザリオや十二の星の冠のより熱心な祈り方などです。このような霊的行動を聖母マリアに捧げて、全世界の平和のために、特にロシアとウクライナのために、聖母マリアの力強い取次ぎを願いましょう。

「とはいえ、敬愛する兄弟の皆さん、平和は単なる人間のわざではありません。それはまた、そして何よりもまず神からのたまものです。平和は天から来るものです。平和は、わたしたちがこのたまものを全能の神から受けるにふさわしいものであることをついにあかしできたときに、人間の中にあって真に支配するのです。ちょうど、諸国の幸福と将来が神の力のうちにあるように、人の心もそうなのです。ですから、わたしたちはこの高尚な恩恵を、神に祈ることによって手に入れなければなりません。教会がまさにその初めからこれを習わしとしてきたように、たえず、油断することなく祈ることによってです。とくに、平和の元后である幸いなるおとめマリアの取り次ぎと保護を願う祈りによってそうするのです」(教皇パウロ六世回勅「メンセ・マイオ」10)。

イエスの御母マリアに心を開き、この5月を、聖母と共にと聖母のために捧げ、この苦難の時に、私たちと全世界に聖母の豊かな恵みを求めて祈りましょう。

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