教会だより

2022年07月786号

聖ポンピリオ・マリア・ピロッティ

【ラジュ・アントニー

 エスコラピオス修道会の聖人である聖ポンピリオ・マリア・ピロッティの祝日は、皆さんご存知のとおり7月15日です。今月号の教会だよりでは、聖ポンピリオが、彼の時代にまん延した、いくつかの異端的な教えに対して、絶えずカトリック信仰を擁護する努力を続けていたことに留意しながら、聖人を思い起こしたいと思います。こうした振り返りは、私たちの時代における偽りや間違った教えに対して、私たちが自らのカトリック信仰を守る上でも大いに役立つことでしょう。聖ポンピリオは、1710年9月29日にイタリアのモンテカルロ市で生まれました。帰天したのは1766年7月15日です。聖ポンピリオの生涯はとても短かったのですが、霊的な影響力は多大でした。

 聖ポンピリオは、まれに見る経歴の持ち主でした。もっとも、聖人たちの生涯が非常に多様であることを考え合わせれば、驚くまでもないかもしれません。人間的な観点から見た場合に、強靭な聖人たちもいれば、虚弱な聖人たちもいます。聖ポンピリオは、後者に属していました。身体的・心理的には、とても弱かったのです。でも彼の活動は本当に情熱的でした。すべての聖人にはいくつかの共通点もあります。それは、神の力や聖霊の導きに関わる点についてです。聖ポンピリオは、教会権威者や世俗権力者からは迫害され、何度か裁きを受けました。それは、修道会創立者の聖ヨセフ・カラサンスと同様であり、またキリストが受けたことと同様でした。実に、弟子は主人にまさるものでなく、同様の扱いを受けるといわれるように…。その一方で、一般の人々は聖ポンピリオを賞賛し、その後に従っていきました。

 聖ポンピリオの時代に広まった異端的な教えは、啓蒙主義、ヤンセン主義、静寂主義の影響によるものでした。

 啓蒙主義が強調したことは、人は、不確かな感情の影響から自由となり、純粋で簡素な理性に基づくべきであるという主張でした。宗教の分野では、キリスト教の超自然的な要素が否認され、理神論(神は創造主ではあるが創造後の世界は神の支配を離れ自己の法則に従って働くとする考え)により、「自然宗教」(人間の自然的理性にのみ基づく宗教)の類が現れました。――「主権者」(政府―国家)の力が及ぶ範囲に制約はないはずである。この国家管理の対象から聖職者を除外すべきではない。国家は、生産、教育、そして国民の経済的・霊的・物質的生活の促進に責任があるのだから。――英国やフランスからイタリアに入ったフリーメイソンは、このような思想を広める役割を担っており、純粋に反聖職者主義を特徴としていました。それは、ナポリの統治下に急速に広まり、1750年にはフリーメイソンの会憲が公表されました。こうした状況は、聖ポンピリオの生活に間接的に影響を与えたと思われます。

 ヤンセン主義は、キリスト教内部の厳格な生命概念から生じたものです。神を父と考えるのではなく、注文の多い、厳格な裁判官だと捉えます。人間本性は堕落しており、前もって予定された人たちだけが救われるのだと考えられました。救いを普遍的なものとは考えません。このような教説によって、多くの信者が秘跡から離れてしまうことになりました。まさにこの点において、聖ポンピリオはヤンセン主義に勇敢に闘いを挑み、勇気をもって、頻繁に秘跡に与ることの意義を弁護しました。このために、暴力的な攻撃を被ることもありました。

 静寂主義は、ただ神の意志にすべてをゆだねるという口実の下で、精神の緩みをもたらす傾向がありました。提唱者のマイケル・モリノスが教えたことは、内面的な生活を構成しているのは、魂の機能の完全な消滅の状態であり、それが神の働きになっていくというものでした。そのような状態に達した魂が罪を犯すことはあり得ないのだから、その霊魂は欠陥について心配する必要などなく、従って、人となられた救い主、おとめマリア、聖人たちを対象とする信心を拒絶すべきであると教えました。聖ポンピリオは、静寂主義の傾向に対しても、激しい闘いに身を置きました。彼が、イエスのみ心、聖母マリア、聖ヨセフ・カラサンスへの信心を説き、頻繁に赦しの秘跡や聖体拝領に与ることを擁護したことによって、こうした異端的なグループから非難を受けました。

 聖ポンピリオによって書かれた、奉仕団体の規則があります。その中に、カトリック信仰を擁護した彼の典型的な霊性のいくつかの側面を見出すことができます。

・秘跡に頻繁に与ること、ミサと聖体拝領。

・真の神の愛から生まれた、普遍的で、分け隔てのない慈善。

・使徒的な方法による社会変革として、良い模範となる力。

・いかなる取引、利得、利益をも拒否すること。

・死者の記念を目的とすることにより、現在の現実のうちに永遠を思うこと。

・兄弟姉妹の間での相互支援。

・そして当時における最後の特別な側面:神の家族である全キリスト者との交わりにおける教会の良心。

聖ポンピリオ、私たちのために祈ってください。

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