教会だより

2021年04月771号

空のお墓―復活の証し

アントニー・ラジュ

主の死を思い、復活をたたえよう、主が来られるまで。これは、カトリック信者の皆さんの信仰の神秘です。毎回ミサのとき私たちはそれを唱えています。過越の聖なる三日間の典礼にともに与って、主の死を思ってわたしたちは復活祭を迎えました。イエスのご復活、おめでとうございます!復活したイエスの祝福が私たち一人一人の上にありますように。

最初に空の墓を経験したのはマグダラのマリアです。空の墓を見て、マグダラのマリアは、イエスが墓から取り去られたと思い、泣いていました。それからイエスは彼女に現れました。イエスが近くに来て、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と尋ねても、彼女はそれを園丁だと思いました。しかし、イエスが彼女を「マリア」と呼んだとき、彼女はそれがイエスだと気づき、ヘブライ語で「先生」を意味する「ラボニ」と言いました。

次に空の墓を経験したのは使徒ペトロとヨハネです。「ペトロとヨハネは一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。」(ヨハネ 20:4-8) 空の墓は復活の証しとなりました。空の墓を目の前にして私たちは、イエスが死に打ち勝ち、復活して神の子の栄光に立ち上がられたことを、毎日のミサで神秘としてたたえています。

イエスは自分の復活を予告されました。イエスが自分の死と復活について述べられた3つの予告があります。一つ目の予告。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」(ルカ 9:22、マルコ 8:31) イエスはしばしば自分の教えの中で、彼の復活について話していました。

二つ目の予告。イエスはエルサレムの神殿に入り、境内で両替をしている者たちや牛、羊、鳩を売っている者たちを見て非常に激怒しました。父の家は「祈りの家」であるべきなのに、「商売の家」「強盗の巣」にされていたので、イエスは縄で鞭を作り、神殿からそれらをすべて追い出しました。ユダヤ人たちはイエスに「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と尋ねました。イエスは答えて言われました。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」(ヨハネ 2:19) イエスは自分の体である神殿についてこう言いました。この予告も復活を示しています。

三つ目の予告。あるとき、何人かの律法学者たちとファリサイ派の人々がイエスのところにきて、しるしを求めました。イエスは彼らに「預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」とお答えになりました。旧約聖書の預言者の一人であるヨナに神が与えられた使命は、ニネベに行き、その悔い改めを説くものでした。しかし、ヨナは主から逃れてタルシスに向かい、船に乗り込みました。海は大荒れとなり、その災難の原因がヨナの逃亡にあることを知った船乗りたちは、ヨナの手足を捉えて海へほうり込みました。クジラが彼を飲み込みました。三日後、主が命じられると、クジラはヨナをニネベの海岸に吐き出しました。(ヨナ 1:1-2、11)

イエスが律法学者とファリサイ派の人々に与えたしるしとは、ヨナが三日三晩、クジラの腹の中にいたように、イエスも三日三晩、大地の中にいることになる、というものでした。これには、三日後にイエスが立ち上がる、イエスが葬られた墓は空の墓になって、神がイエスを復活させられるというヒントも含まれています。

典礼暦年の中で、復活節は50日間です。これは、復活の主日から聖霊降臨の主日(ペンテコステ)まで、「大いなる主日」一つの祝日として祝われます。この季節に、私たちは、ご復活によって死を乗り越え、神の栄光を明らかにされたイエスを賛美しながら、また、約束された聖霊を祈り求めながら待ちます。

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