教会だより

2018年09月740号

神の計画

アダム・クジャク】

「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。

主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる。

死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。

わたしを苦しめる者を前にしても/あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ/わたしの杯を溢れさせてくださる。命のある限り/恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り/生涯、そこにとどまるであろう。」詩編23章

晩の祈りの中でこの詩編を唱える時、最近行われた堀部さんと高島さんのご主人の御葬式を思い出します。皆さんも御存じのとおり堀部さんは自分の家族のことで忙しくても、戸部教会のためによく精神と力と時間を尽くして下さいました。まず婦人部の部長の時にはペレア神父様とロレンソ神父様とヘルマン神父様をサポートして、彼女のお陰で大勢の人が信者になり、教会が生きいきしていました。香部屋の係として沢山の人を育ててくれました。また聖歌隊のメンバーとして、特に結婚式と葬儀のミサの時に彼女が歌っている姿を思い出します。いつも毎週の日曜日には前から三番目の席に山口さんと座り、帰りには郷古さんと三人で車に乗っている姿を見て、私は戸部教会の三位一体と呼んでいました。

5月に私は母の誕生日のためにポーランドに行くと言ったら堀部さんは「もし私が死んだら、私の葬式をどなたがして下さるのかしら」と心配して言いました。私は笑いながら「私の方が先に行くかも知れないでしょう」と答えました。その時私は彼女の死について全然考えていませんでした。しかし私が6月22日ポーランドから成田に着いたときに、娘さんの百合子さんから電話で「母が入院しましたので、病院にいらして戴けませんか」と言われましたが、私は彼女にロレンソ神父様も入院されたので、先に東京の病院に行かなければならないからと答え、その次の日に戸部教会の数人の信者と一緒に病室を訪ね、彼女に病者の秘跡を授けました。そして27日の午前5時ころ百合子さんから「母が亡くなりました」と電話があり、私はすぐに彼女のために祈り、朝のミサを捧げました。

最初の私の計画ではポーランドの滞在は5週間でしたが、突然、不意の修道会の用事で2週間になりました。結論、神様はご自分の計画を造りました。この計画の中で堀部さんはいつに亡くなるか先に決めてそして彼女の御葬式は、私が出来るようにポーランドの滞在期間を短くさせました。

また、7月18日に木曜日の聖体礼拝の後で高島さんは私に「私の主人に洗礼を授けていただけませんか」と聞いてきました。私は「今週は忙しいので来週の火曜日の午後ではいかがですか」答えました。「いいですよ、火曜日に主人の施設でお待ちしております。」と言われました。しかし残念なことに高島さんの主人は洗礼を受ける前に亡くなりました。そして彼女から「戸部教会で御葬式をして下さいませんか」と頼まれました。私は「はい」と言いましたが、心の中では反対の気持ちがありました。なぜなら私はカトリック教会の司祭として秘跡を授けるために叙階されました。カトリックの典礼は葬儀のミサを含めて信者のため、洗礼の求道者と洗礼を受けた方々のためです。信者でない方と別の宗教の方々は自分のお寺や教会、家で御葬式をした方がよいと思います。

7月21日に亡くなられた高島さんのご主人のために戸部教会で葬儀のミサを捧げました。しかし奉献分の祈りの中で「洗礼によってキリストの死に結ばれた者がその復活にも結ばれることができますように」という言葉は抜かして読んではいませんでした。でも葬儀のミサの後に亡くなられた高島さんの御兄さんから「私の弟は正教会で小さい時に洗礼を受けてました」と知らされ、びっくりし、神に感謝と考えたと同時に、わたしの心の反対したことを恥ずかしく思いました。 カトリック教会のカテキズムによると洗礼の秘跡は霊魂に永遠に消えない霊印を残します。洗礼は繰り返し受けることはできません。この秘跡は生涯に一度しか受けられません。結論は神様は私がもう一度、高島さんのご主人に洗礼を授けないように先にシロフォス・高島正典さんをご自分の所に呼ばれたのでした。

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