教会だより

2023年04月795号

四旬節黙想会

四旬節第1主日 3月26日(日)

講師に神言会のジェブーラ神父様をお迎えし、行いました。

朗読箇所

第一朗読  創世記2:7-9、3:1-7  人間の創造と罪

第二朗読  ローマ5:12-19  アダムの罪とイエスの救いの対比

福音朗読  マタイ4:1-11  イエスが荒野で悪魔から誘惑を受ける

・ミサ説教

今日の福音書の基本的なテーマは誘惑です。イエス様は40日間断食した後3つの誘惑を受けました。「この石をパンになれと命じよ。神の子なら神殿の屋根から飛び降りれば、神が天使たちに命じてあなたを支えるであろう。更に国々の繁栄ぶりを見せて、私(悪魔)にひれ伏したらこれをみんな与えよう」と言った場面です。

欲と言うのは、人間が成長する過程に物欲、快楽欲、権威欲などあり、どれも悪い物ではないですが、欲の中には、悪魔の誘惑のための隙間があります。第一朗読では、アダムとエバが誘惑を受け、最初の罪を犯した事が書いてあります。神様は人間に楽園を与えました。そこで悪魔は「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか」と言います。この質問の中には嘘はありません。しかしその質問で神様のイメージを壊してしまいました。そして後に罪を犯したアダムとエバに回心はありませんでした。神様の前で謙遜な態度がなかったのです。悪魔の誘惑は、神様のイメージを歪曲させます。悪魔との話し合いには罠があります。十字架上のイエスも罵った囚人と議論はしませんでした。もう一人の強盗は許しを乞い、許されます。悪魔は私たちに『神様は信頼できない厳しい方である。近づかないように』と思わせる目的があるのです。私たちは慈しみ深い愛、限りない愛にメタノイア=悔い改めが必要です。私たちは神様が与えてくださった魂を成長させ、神様の栄光を証しし、神である主を拝み、たたえる人生を歩む事ができますように。

・第一講話

回心の秘跡について考えましょう。私たちはゆるしの秘跡を受けますが、告解をしても、また同じ罪を犯すことになってしまいます。進歩しないのはなぜか、見落としていることがあるのではないでしょうか。

①心の究明―自分はどんな罪を犯したのかと振り返る。心の中の奥まったところに罪があり、そこまで届かないから、なかなか改善も出来ない。神の十戒に照らして考え、告白して、また同じことを犯すのはなぜか。犯した罪、それは他人のせいではないか、外から来た物のせいと思い込んでいるところがあるのではないかと考える。また人にもよるが何もかも自分が悪いからと思う人もいる。罪を告白してきれいになっても、回りがみんな悪いから、外から悪いものが入ってきてしまうからこのような心の動きになるのだと言うが、聖書に(マルコ7:20ー23)「人から出て来るものこそ、人を汚す。中から、つまり人間の心から悪い思いが出てくるからである。…これらの悪は皆、中から出てきて人を汚すのである。」とイエス様は話されている。この箇所は、このような心の転換の一つのきっかけになるのではないでしょうか。

②自分自身を変えなければならないー自分の心にはトゲがあるので、神様と一緒にそのトゲを取り除こうとする事が大事で、謝るだけではまた同じことになり、霊的な進歩は何もない。ゆるしの秘跡をいただくにあたり、ただ表面的なことではなく、具体的な罪によって、発見した自分の心の傷、トゲをどう取り除くのか、心の訓練が必要である。放蕩息子のたとえにあるように(ルカ15:11)兄の態度は放蕩三昧をして帰ってきた弟に嫉妬し、ヤキモチを妬いてしまう。弟は(神様が)父として自分を無条件に愛している事を確信する。それが完全な痛悔です。

③罪の告白―自分の罪とは何かトゲはどこにあるのか。他人の罪では悩みになってしまう。誘惑はいっぱいあるが、そのものが罪ではなく誘惑に負けることが罪になる。いかに神様との密接な関係を作らなければならないか、一つのきっかけとして考える必要がある。怠りであれば罪だが、出来なかった事ならば罪にはならない。完璧を求めて力が足りなかったことは悔やまれるが、一度許された罪を何度も告白することは、神様の許しは完全であるのだから必要はない。神様を信頼することが大事です。

④償いー「償いとしてロザリオを一連を唱えて」というのがあるが、これは神様との関係を作るためだが、他人に害を与えているような罪であれば、それを修復する事が大事で、行動をもって償いをすべきである。しかも、その善行を行うときには、人に見せびらかすのではなく、ひそかに謙遜に行うべきである。神様だけに分かれば良い事である。

神様との和解で大事なことは、イエス・キリストの十字架によって神様の愛で自分の心を満たすことになる。他人との和解と同時に、自分との和解も必要である。洗礼によって、神の子となり、ゆるしの秘跡を受けて和解した事で自分自身が素晴らしいものだと意識する。自分を愛さなければ、隣人を自分のように愛することが出来ないでしょう。

⑤罪に戻らないようにーゆるしの秘跡を受けて、心がきれいになっても、空にしてはいけない。隙間があると悪魔が入ってきてしまう。そのためには、神の愛で心を満たす必要がある。どんな事でも、神様の恵みとしていただき、人生を毎日生きることは、全てを神様のうちに、神様の愛がいっぱい入っているから、愛を持って他の人に分かち合う。このような人生があれば、悪魔が戻る隙間はないのではないでしょうか。

 長くなりましたので簡単に第二講話を入れますと、テーマは『神様に出会う』

「主の祈り」これは祈りの精神を思い出し、自分の人生を祈りに変えていく。これは教会の伝承である。後は「フアリザイ派と徴税人」「カナンの女の信仰」「やもめと裁判官」のたとえ話を引用してお話しして下さり、マリア様はカナの婚礼の話に見られるように、恵みに満ちた方で謙遜な方です。マリア様を私たちの模範としましょうという事で締めくくられました。

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