教会だより

2019年12月755号

人はパンだけで生きるものではない

アントニー・ラジュ

聖書の中のその有名な言葉について解説しようとおもいます。この言葉は、現行文語訳聖書に、人の生くるはパンのみによるにあらず、と訳されていますが、文語体です。口語訳では、新共同訳聖書に、人はパンだけで生きるものではない、となっています。文語体のほうが何か重みを感じますね。

 さて、この言葉は、イエスさまが世の中に神の国の福音を宣べ伝える前に、荒野に行かれて40日間の断食をなさった出来事の中にでてきます。そこで悪魔がイエスさまに語りかけて、神に従う道を歩ませまいと働きかけました。その中で、悪魔はイエスさまに、もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい、と誘ったのです。40日間の断食といえば、ほとんど人間の限界に近い断食です。食べなければ死んでしまうような極限状態です。しかし荒野には何も生えておらず、もちろん人もいないし店もありません。しかし石ころならゴロゴロしています。あなたが神の子ならば、この石をパンに変えることは朝飯前でしょう。そうやって食べたらどうですか、と悪魔はイエスさまにささやいたのです。

 なるほど、と思わせます。イエスさまが神の子であるならば、本当にそうすれば良いように思われます。しかしここに悪魔の大きなワナがありました。もし本当に、イエスさまが石をパンに変えて食べて生き延びたとしたら、イエスさまという方は我々とは縁遠い方だということになるでしょう。わたしたちは、石をパンに変えることができないのですから。

 この悪魔の誘惑に対して、イエスさまは標記の言葉をおっしゃったのです。そしてこれは旧約聖書の言葉の引用です。旧約聖書の申命記8章3節にこのように書かれています。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。

まだ解説は不十分ですが、長くなりますので、結論にいきます。標記の言葉は、私たちを生かしてくださるのは神さまであり、その神さまの言葉に従った時に、私たちが生きていくために必要なものは神さまがちゃんと備えてくださる、というのがもともとの意味です。一般に言われている、人間というものは食べたり飲んだりすることだけで生きるものではなく、文化的な、精神的なことを目的として生きるものである、という解釈は、少し誤解であるということになります。

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