教会だより

2020年09月764号

トリエント公会議と第二バチカン公会議

アダム・クジャク

1545~63年に行われたトリエント公会議は教皇様に、聖典すなわちミサとカテキズム、ブレビアリー(聖務日課書)の改革と再出版をする任務が委ねられました。この職務は聖ピウス5世(ローマ教皇)が引継ぎ、そして実践されました。1570年7月14日に彼は教皇勅書「Quo primum tempore」を出版し、新しいミサの典礼を設立して、『トリエントのミサ』と知られるようになりました.

トリエントのミサの主な特徴は何ですか?

トリエントのミサはカトリック教会の国際的な言語すなわちラテン語で行われ、司祭は祭壇と聖櫃に向かってミサがあげられていました。ミサに預かっている信者は司祭の背中しか見えませんでした。これは牧者のように羊の群れを直接に神様に向けて誘導して行くという意味がありました。

ミサは『大天使聖ミカエルへの祈り』から始まり、それから司祭と侍者は直接対話(ラテン語で)をして、ミサの開会をしました。信者たちは沈黙で祈り、侍者の鳴らすカンパヌラ(小鐘や鈴)の音の合図が聞こえたとき、跪いたり、立ったりと言う動作をしました。司祭と侍者の対話の言葉は主に詩編から取られ、ミサの喜びを宣言し、犯した罪を神様に謝罪し、回心の心構えを人の前に明確に示されました。

大きな教会バシリカ(ゴシック様式や、ロマネスク様式)には中央部分の身廊、正面の主祭壇に対し、側廊の右側と左側にいくつもの小さい祭壇があります。そんなバシリカ式祭壇を持った修道院や沢山の司祭がいる教会では、複数の小さな祭壇で沈黙のうちにミサが行われていました。

日曜日と祭日の時はオルガン伴奏で聖歌を歌っていました。ミサの典礼のいくつかの部分では、オルガニストまたは聖歌隊と司祭が歌で対話をしました。通常は、憐みの賛歌 ( Kyrie eleison ), 栄光の賛歌 ( Gloria ), 信仰宣言 ( Credo ), 感謝の賛歌 ( Sanctus ), 主の祈り ( Pater noster ), 平和の賛歌 ( Agnus Dei ) でした。司式者はまた、福音の前や聖体拝領の後での祈りも歌いました。このように、直接ではなく、信者はオルガニストまたは聖歌隊を通してミサの典礼に参加しました。

したがって、トリエントのミサへの参加者は、能動的というより受動的でした。

果たして、世界中のカトリック教会の信者が、教会でラテン語を使い、適応しなければなりませんでしたが、これは、アフリカやアジアなど、ほど遠い文明国にも当てはめていたこの状況で、信者は異なる言語で行われるミサ典礼に完全に参加できるか疑問がありました。

第二バチカン公会議の典礼変化

20世紀半ば、ラテン語を各国語に置き換える必要性についての意見がますます多く聞かれるようになり、この主題は第二バチカン公会議によって取り上げられ、典礼改革を決めました。それは1969年4月3日に使徒憲章「Missale Romanum」を宣言したときに教皇パウロ6世によって行われ、現在使用されているミサ形式が紹介されました。おかげで各々の国の言葉でミサを理解し積極的にミサに参加出来るようになりました。

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