教会だより

2018年02月733号

イエスの受難

アダム・クジャク】

2月14日から四旬節に入りますのでイエスの十字架の道行に基づいて、神の愛、憐れみについて考えたいと思います。イエスは私たちの罪を贖うために「いけにえ」となって、そして私たちに永遠の命の恵みを与えられるために、どれほど苦しまれたか想像してみましょう。

1.イエスはオリーブ山に行かれました

ゲッセマネの園でイエスは、苦しみもだえながらも、最後まで御父のみ旨に従うことを決意されました。聖書の中で「父よ御心なら、この杯(苦しみ)を私から取りのけて下さい。しかし私の願いではなく、御心のままに行ってください。」と祈っていました。そして「イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。」と書かれています。イエスは神様として人間の救いの為に何の苦しみの代価を払うかよくご存じでした。ですから未だ傷を受けなかったのに、血と汗が顔から流れ出ました。時々最もの恐怖で人の顔の血管が張り裂けます。アドレナリンというホルモンが血に出て血圧を高くし、圧力で血管が破れて血と汗が一緒になって流れて出ます。

2.イエスは鞭打たれました。

兵士たちはイエスの手を低い杭に縛りつけました。ローマの鞭の紐先には鋭い骨と釣り針と鉄の玉がついていました。それで鞭打たれると背中の皮膚を切って、筋肉、血管、神経組織を破り、張り裂けて、背骨まで見えるようになりました。そんな鞭で打たれた人はほとんど死にます。イエスはそれでも生きておられました。

3.いばらの冠を編んでかぶせられました

冠はパレスチナの植物で造られています。枝に7センチぐらい刺が付いています。この冠は棒で頭に押し付けられました。イエスの苦しみを想像してみてください。

4.イエスは十字架を担った時に三回倒れましたと聖書に書かれています

十字架は丸太二本で建てられました。一本は(3mぐらい)垂直な丸太をゴルゴタという丘の上に立てられ、イエスは(1m50cmぐらい)横の丸太を担っていました。手首がその丸太に結ばれていたのでイエスは倒れた時には頭が地面にたたきつけられました。

5.十字架に付けられた主イエスは御父のみ旨を果して息を引き取られました

旧約聖書の預言のように、イエスは私たちの罪を贖うためにいけにえとして、過越しの小羊のように屠られました。過越しの小羊の骨は折ってはならないと決められています。イエスの骨も折られていませんでした。イエスの十字架の両側にいた罪人の足の骨は折られ、イエスの足も折るつもりで、そばに兵士が寄ってきたがすでに死んでおられたので足を折らなかった。十字架での亡くなる原因は窒息死でした。十字架にかけられると自分の重さで前かがみになるので、胸が圧迫されて苦しくなります。足でささえないと、窒息しそうになるので、十字架の上で足をのばしたり、かがんだりしているため、死を早めさせるためにすねを折っていました。でもイエスは死んでいたので、すねを折る代わりにわき腹、即ち心臓を槍で刺されました。そしてすぐ血と水が流れ出ました。 イエスは旧約聖書の預言どおり、過越しの小羊のように骨を折られずに、人間を救うために十字架の苦しみを担い私たちの罪で殺されて、罪人の代わって裁きをうけてくださいました。四旬節には神がどのような代価を払われたか考えながら黙想しましょう。

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